スタンリー・キューブリックは、『2001年宇宙の旅』の初期開発段階(1965年頃)に手塚治虫へ書いた書簡で、映画のデザインのために2年間ロンドンで働くことと、英語が話せるかを尋ねた。手塚は、1963年からフジテレビで放送されていた『鉄腕アトム』シリーズの制作を統括する虫プロダクションのトップとして、週単位の放送スケジュールと数百人のスタッフの給与に責任を負っていたため、オファーを受け入れられなかったことを伝えた。
スタンリー・キューブリック、手塚治虫に『2001年宇宙の旅』参加を打診、漫画家は断る
スタンリー・キューブリックが1960年代に手塚治虫へ『2001年宇宙の旅』のデザインチームへの参加と2年間のロンドン滞在を依頼したが、手塚は『鉄腕アトム』の制作責任により断った。
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